新・深川のススメ「化け猫と深川」
まずは「深川のススメ」の過去記事をご覧くださいませ。
第三十三回 「イワシは貧乏人の食い物?干鰯場の繁栄」
https://www.kikaku-sembei.co.jp/2018/07/26/fukagawanosusume-33/
富岡八幡宮にあります「永昌五社稲荷」が、かつて深川で繁栄した「干鰯場」の商人たちによって祀られた神社であることを紹介しております。江戸時代、干した鰯を銚子などから運んで、畑の肥料にした、そんなことを紹介した記事であります。
この記事を書いてからずいぶん久しくなりますが、さて、最近深川の「奥村商事」という会社のホームページに、この「干鰯場」のことが詳しく書かれているのを発見、とても面白いのでご紹介したいと思います。
奥村商事は実は其角せんべいのお得意様でありまして、今まで肥料会社とは存じ上げなかった!!のですが、江戸からの歴史ある、由緒正しい肥料会社なのでした。
江東区の農業と肥料の軌跡
https://www.okumurashoji.co.jp/news/koutouku_2011.html
まず、「干鰯」に関する新知識。
江戸時代、行燈などの灯油の原料は何だったか。私たちはすぐに「菜種油」などの植物油を思い浮かべます。もちろん菜種油なども使われていたのではありますが、とても高価で、庶民はなかなか使えなかったようです。
一般庶民に広く使われていた灯油は「鰯油」当時ふんだんに取れた鰯の油を搾ったものです。植物油より魚油が安かった、というのは現代人には驚きですが、考えて見れば、捕鯨もアメリカなどは鯨油、クジラの脂を燃料に使うためのみに鯨を取っていたようですから、世界的に「魚油」というのものは「安い燃料」として重宝されてきた歴史があるんですね。
そして、江戸時代の「化け猫」のお話で、化け猫が行燈の油を舐めるのは、行燈の油が「鰯油」だったからなんですね。実際に猫が鰯油を舐めたりすることは、日常的にあったようです。
そして、灯油にするための油を搾った後の鰯の搾りかすを、畑の肥料にしたのです。その搾りかすの干した鰯を取引したのが深川にあった「干鰯場」なのです。
そしてその「干鰯問屋」の人たちの信仰を集めたのが富岡八幡宮の「永昌五社稲荷」なのです。
そして、この奥村商事さんのホームページによりますと、阿波藩が生産を奨励していた「阿波藍」という藍染めの藍の原料となる藍を栽培するのに、阿波藩がこの「干鰯」の使用を奨励していた、というのです。
藍は江戸時代、高級染料として珍重され、高値で取引されたのです。その藍のよりよい栽培に阿波藩は「金肥やし」たい肥などではなくお金を払って購入する肥やしである「干鰯」お金を払うぶん効果抜群だった「金肥やし」を奨励したのだそうです。
阿波から藍を江戸に運び、江戸から干鰯を持ち帰る、という取引だったそうです。奥村商事ももともと藍問屋だったのが、この干鰯の取引がとても儲かるのに目を付けて、江戸で「干鰯問屋」をはじめて今に至る、とのことです。
ちなみに干鰯問屋の商売は浮沈が激しく、興廃業が相次いだみたいですから、きっと相場の商売だったんじゃないかなぁ、などと想像します。当たるとどーんと儲かるけど、外れると大損をする先物相場商売だったんじゃないかなぁ。
まあそれにしても、阿波と深川が「藍と鰯」で繋がっていて、それが今でも繋がり続けている、なんてこんなに面白いことはありません。
わくわくしますよね。
(画像は奥村商事ホームページより拝借しました)