第四十回 「霊巌寺・江戸六地蔵と大名の墓」
前回に引き続きまたまたお墓シリーズ。今回は「霊巌寺」。ここはお墓より、やはり「江戸六地蔵」が有名です。江戸六地蔵は、正元というお坊さんが二十四歳のときに大病したとき、お地蔵様に願をかけたら直ったので、それ以来、京都の六地蔵に倣った「江戸六地蔵」を建立しようと願をかけ、享保二年に実現した、というものです。六地蔵の場所は、江戸城から見ての鬼門とか、街道の起点とか、そういったところに作られたようです。深川には永代寺とこの霊巌寺に作られましたが、永代寺の廃寺とともに永代寺のものはなくなり、現在はこの霊巌寺だけにあります。
以前にも書きましたが、江戸六地蔵って、江戸時代にそんなに有名だったのかな、という気がします。資料には全然登場しない。私自身、子供頃は知らなかったし、六地蔵めぐりをする人たちがぼちぼち現れだしたのは近年です。この「江戸六地蔵」というのも、最近資料から発見されたもので、昔から人気とか権威のあったもののようには思えません。写真のとおりお地蔵様そのものは立派なもの。ただね、すごくでっかいし、わたしたちの知っているお地蔵様とはだいぶ様子が違うし、なんか近寄りがたい。
やっぱりお地蔵様、というと、わたしたちには上の写真の関東大震災の慰霊のお地蔵様のほうが、親しみやすくありがたい。この関東大震災の慰霊の地蔵群は、関東大震災の被害のひどかった深川の貴重なモニュメントです。
この霊巌寺でもうひとつ有名なのは、大名の墓、特に「寛政の改革」で有名な老中松平定信の墓があること。これはなんと国の指定文化財。重々しく塀に囲まれ、中に入れません。この他にも、松平家や本多家といった譜代の大名の墓も並んでいます。墓の形態としては、松平定信の墓のありようが本来の大名の墓の姿のようで、塀で囲まれた一角に歴代の殿様たちの個人墓が並んでいたようです。ただ、明治以降、大名というものがなくなり、そのような大規模な墓群を維持するのが難しくなった。お寺としても邪魔でしょうがない、これを撤去してあらたな檀家の墓の用地に当てたい、という事情になったのは、これまでの墓シリーズで書いてきたとおりの墓事情でしょう。で、昭和初期、松平定信以外の墓は全部整理され、一般墓地に移された、ということのようです。
その際、代々の殿様の墓の中で形よく残っているものだけを残し、それを「代々の墓」として残したようです。もう荒廃した大名墓の場合、再建して残したりもしたようです。それが今残っている大名たちの墓の歴史、です。
しかし、殿様たちの墓が、このお江戸深川にある、というのは、当時の大名たちの生活をよく現している、といえます。参勤交代制度が定着して以後、殿様の奥さんと子供は、人質として江戸に住んだ。ですから、たいていの大名と呼ばれる殿様たちは、たとえ領国が九州だろうが東北だろうが、生まれも育ちもちゃきちゃきの江戸っ子です。領国に足を踏み入れるのは、実際に殿様になって「お国入り」をするときが初めて。自分の領国ってったって、殿様にとっては見ず知らずの土地です。地理も事情もなにもわからない。殿様だから自分の領国の藩政を司ろう、っていったって、そもそも国許のことは何も知らないし、そういうことは国もとの城代家老を筆頭にした国家老たちが仕切っている。たとえ殿様があれこれ口を挟んだとしても、殿様は参勤交代で一年後には江戸へ帰っちゃいますから、殿様の政策には継続性がなく、結局国許の藩政は、国家老たちの仕切るところとなります。
まして、国許には奥さんも子供もいない単身赴任。気晴らしに遊びに行こう、といっても、町中殿様だらけで少々殿様が無茶しても目立たない江戸と違って、国許では殿様は自分ただ一人で目だってしょうがないから、江戸にいるときみたいに「おしのびで」遊びに行くのもままならない。たとえ出かけたとしても、ちやきちゃきの江戸っ子で江戸の遊びに親しんできた殿様にとって、領国の遊興なんて、田舎くさくて面白くなかったに違いありません。こうなってくると、殿様たち、奥さんも子供もいる、生まれ育った「故郷」江戸に帰りたいなあ、と「ホームシック」にかかってたんじゃないかなあ。立派な「一国一城の主」として家臣たちにかしずかれながら、早く江戸に帰りたいとホームシックになっている殿様の姿を想像するのは、なんだかとっても、面白いことです。
そんな生活を送っていた殿様ですから、亡くなる時も領国で亡くなるとは限らない。江戸にいる間に亡くなる可能性は半々です。土葬の個人墓だったわけですから、江戸で亡くなった遺体を領国に持っていくのは不可能。当然江戸で葬儀が営まれ、江戸で埋葬されます。生まれも育ちもちゃきちゃきの江戸っ子だった殿様は、故郷の江戸に眠ることになります。
というわけで、深川で一二を争う大きなお寺である霊巌寺、いらしたら、江戸六地蔵だけでなく、大名たちのお墓に立ち寄って、江戸の殿様の生活に思いを馳せてみてください。あんがい、わたしたちと同じような感情を共有していたのかもしれません。
(この記事は2012年に書かれたものです)