第二十三回 「幻の清澄庭園」

現在の清澄公園。家族連れの憩う、のどかな公園です。

前回お話しした「清澄庭園」、行かれると、庭園の入り口の向こうに、広い公園があるのにお気づきになるはずです。「清澄公園」と呼ばれております。結構広い公園で、家族連れが、のんびりと憩う姿が見られます。この、清澄公園、実は、「幻の清澄庭園」清澄庭園の、失われた部分、なのです。ここにかつて、清澄庭園の壮大なもう半分が、存在したのわけです。

 

ジョサイア・コンドル設計による西洋館。見てみたかったですねー。

川田小三郎設計の日本館。これもみごと。

岩崎弥太郎が作り上げた清澄庭園は、もともと「深川親睦園」という名前でした。岩崎家の来客用だけでなく、今の三菱の社員たちの慰安所、でもあったそうです。当時の三菱、岩崎財閥の栄華を、世に示すものだったのです。現在の清澄公園のある場所には、現存する清澄庭園と地続きの庭園が広大に広がり、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドル設計の「西洋館」が建ち、また、現存する大正記念館の場所には、河田小三郎設計の「日本館」が建っていたそうです。

上の写真は、いづれも、清澄公園の案内板から拝借したものなんですが、西洋館も日本館も、とても見事な建物です。現存していれば、旧古河庭園の洋館や、旧岩崎邸の洋館に匹敵するものだったでしょう。見てみたかったですよね。これらのいずれもが、関東大震災で焼失し、現在の清澄公園の部分は特に被害が大きく、そのため、この部分の庭園はあきらめて、現存する部分だけを「清澄庭園」として東京府に寄付した、ということなのです。

明治時代の建物を、改修したものである「涼亭」。借りないと、中には入れません。

現存する清澄庭園の建物では、「涼亭」と呼ばれる、池に張り出して立っている東屋だけが、明治時代の建物だそうです。そういわれてみるとなんだか、立派な建物に見えてくるというか・・・・。ちなみに、この「涼亭」は、集会場として借りることが出来ます。というか、借りないと、中には入れません。貸し出しの申し込みは、6ヶ月まえから。休みの日の昼間の時間など、人気の時間帯は、6ヶ月前に予約しないと、取れません。ほかに、午前と、夜の時間帯も貸し出していますから、こちらは狙い目です。わたくし其角主人も何度か借りたことがありますが、ここから見る清澄庭園は、絶景です。「涼亭」でのんびりくつろいでいると、なんか、平安貴族の気分です。いや、財閥の当主になった気分、かな。オススメですよ。

かつての清澄庭園の全図。

現在の清澄庭園の地図。左側が現在の清澄公園部分。

現在の清澄公園には、かつての「幻の清澄庭園」としての面影は全くありません。ここが公園として整備されたのは、ほんの十数年前であり、だから、全く新しく出来た公園です。しかし、清澄庭園にお越しの際には、この清澄公園にもぜひお立ち寄りください。ジョサイア・コンドルの手になる壮大な西洋館のあった場所などに思いをはせながら、「幻の清澄庭園」を想像しながら散歩する、というのは、楽しいですよ。

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