第九回 「深川不動尊」

深川不動尊正面から

さて、ずっと富岡八幡宮の周辺を紹介してまいりましたが、今回からは深川不動尊についてご紹介します。ちなみに、わが「其角せんべい」はこの深川不動尊の参道にあります。 江戸時代、庶民の間では「お不動様」というのはとても人気のある仏様だったのです。とくに成田山新勝寺は大変厚い信仰を集め「本山」として認められていたんだそうです。とくにこの成田のお不動様を厚く信仰していた有名人が「成田屋」初代市川団十郎です。なんと団十郎は、お不動様を主人公にした歌舞伎まで上演しています。団十郎の「成田屋」の屋号は、厚く信心していた成田山新勝寺に由来しているのです。そうしてそれから代々、新年には成田山新勝寺では市川団十郎の「御練り」と呼ばれる一種のパレードが行われます。

で、江戸は元禄時代、この大人気の成田のお不動様を、江戸でも拝みたい、という要望が高まりました。ちなみに元禄時代ですから時の将軍は「犬公方」徳川綱吉、彼に絶大な影響力を持ち、天下の悪法として知られる「生類憐みの令」を綱吉に発布させた張本人といわれる、綱吉の生母「桂昌院」が大の「成田のお不動様ファン」であったらしく、彼女の意向でついに、成田のお不動様を江戸に持ってくる、という今考えるとかなり乱暴な「出開帳」が実現したのです。

童子、だそうです。そうは全然見えないけど。

「出開帳」の会場は深川永代寺、同じ「真言密教」の縁でしょうね。で、この「出開帳」が大評判をとり、あまりの人気にこの「出開帳」はしばしば行われるようになります。で、幕末になり、ついにこの「出開帳」が、成田山新勝寺の江戸支店、ともいうべき「深川不動尊」となったのです。で、その後、第一回で説明した明治の廃仏毀釈により出開帳の会場だった永代寺は廃寺となりましたが、神社と合体しておらず、出来たばかりでなおかつ信仰を集めていた深川不動尊は、廃仏毀釈の波をくぐりぬけ、本堂が建つようにまでなります。

同じく童子。怖そうですけどね。

それから関東大震災と戦災で二度にわたり本堂は焼けてしまい、現在の本堂はなーんと、千葉県の印旛沼のほとりにあった「龍腹寺」というお寺の本堂を移築したものだそうです。素朴な疑問として、そのもとの「龍腹寺」はどうなっちゃつたんでしょうねぇ。

さて、いまから30年ほど前、美濃部都知事の時代、深川の象徴であり深川の経済を支えていた「木場」の材木問屋が「防災上」というなんともつまらない理由で埋立地(今の新木場)に移転させられたのです。移転した跡地に出来たのが現在の木場公園。そして、材木の運搬に不可欠だった運河が次々と埋め立てられます。そうです、深川不動尊の裏にも、運河が流れていたのです。いつもいかだが浮かび、川並、と呼ばれるいかだ職人やポンポン蒸気がいかだを引いていきました。その運河が埋め立てられ、不粋な高速道路が作られました。まだ高度成長の時代、江戸の景観なんてだれも、財産として守ろうとしなかった時代です。深川不動尊の本堂の屋根の後ろに、高速道路がぬぼーっと出来てしまったのです。写真を見ると、お分かりいただけますよね。

その日以来、「本堂の後ろの高速道路を消す」ことが深川不動尊の歴代の関係者の悲願となったのです。そしてついに、平成14年、内仏殿が完成。本堂の後ろに建っている建物です。ね、この内仏殿のおかげで、本堂の後ろの高速道路が直接にはほとんど見えなくなったでしょう?

この内仏殿の中心となるのが「宝蔵大日堂」で、その巨大な天井画を描いたのが「さくらの画家」として有名な中島千波。とにかくぜひご覧になってください。すばらしい天井画です。「さくらの画家」だけに花が特に素晴らしく、仏様をかこむ蓮の花の繊細に描かれているのにはうっとりします。もちろん入場無料です。

素朴な疑問。「深川不動尊」なんですから、ご本尊は「不動明王」だと思いますよね。でもこの「宝蔵大日堂」にいらっしゃるのはこの深川不動堂の「ご本地仏」であるという「大日如来」。解説しますと、不動明王は四天王であり、「明王」なわけですから、「如来」とか「菩薩」とかより仏としての地位の低い、仏様の衛兵のような存在です。で、不動信仰の解釈といたしましては、不動明王は、真言密教の大本尊である「大日如来」の怒りの姿、ということになります。大日如来が怒り、不動明王に変化して人々の前に現れ、悪霊を鎮めるわけです。だから深川不動堂の「ご本地仏」は「大日如来」なのです。

豆知識。時代劇で山伏が祈ったり、忍者が忍法をかけたりするときに、右手の人差し指を左手で握り、左手の指を立てますね。これは、大日如来のポーズなのです。「知賢いんを結ぶ」といってこのポーズは大日如来だけのもので、修験道などはもともと真言密教なので、その大日如来のポーズに倣ってあのポーズで山伏は祈るわけです。忍者の忍法も、修験道の法力近い、と思われたので、忍者の忍法にも同じポーズが時代劇では使われたんでしょうね。

深川のお不動様といえば「ご縁日」 毎月28日のほかに1日15日も縁日です。

深川の八幡様、といえばお祭りですが、深川のお不動様、といえば昔からご縁日です。お不動様の縁日は毎月28日、これに深川では八幡様の縁日、といわれている毎月1日15日も縁日として、露天が立ちます。参道はもちろん、永代通りまで、にぎやかに露天が立つんです。出ているお店はいろいろ、縁日のことは、また別の回でたっぷりご紹介しましょう。

さあ、次回から、お不動様の中にあるさまざまなディープなものをご紹介していきます。これがまた、おもしろいですよー。お楽しみに。

(この記事は2006年に書かれたものです)

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