第六回 「大鳥神社とお富士さん」

大鳥神社。そのほか、鹿島神宮、恵比須神社、金毘羅宮、富士浅間神社などが三つのお社の中に祀られています

「深川のお酉様」意外と有名ではないのですが、深川にも富岡八幡宮に「大鳥神社」があり、毎月11月にはお酉様で熊手を買う人でにぎわいます。小さなお社ですが、近年式年で建て替えられ、ぴかぴかにきれいです。 また、「深川七福神めぐり」のスタート、「恵比須神社」も大鳥神社にすぐ並んであります。「深川七福神めぐり」については別に詳しくお話しすることにしましょう。

うっそうとした鎮守の森のかたわらで、大きな木の間に白木の小さなお社が三つ並んでいるさまは、なにやら厳粛な雰囲気です。その三つのお社の一番左、富士浅間神社の隣に、小さな石塔が立っていて、そこから、小路がお社の裏へ続いています。これは、かつて八幡宮にあった「お富士さん」の名残なのです。

富士山は、霊峰として長らく信仰の対象でした。江戸の昔から、一生に一度でいいから霊験あらたかな富士山に登りたい、というのが多くの人の夢だったようです。しかし、バスもバス道路もない時代、富士山に登るという夢を実現させるのは大変な一大事、多くの人がその夢を実現しないまま、年をとっていったのです。そこであらわれたのが「お富士さん」。富士山に見立てた小高い岩山を作り、そこを登ることで富士山に登る代わりとし、「お富士さん」に登るのは富士山に登るのと同じだけのご利益がある、としたのです。

かつての「お富士さん」の名残のお社

その「お富士さん」が、ちょうどこのお社の後ろ、今クリーニング屋さんがあるあたりに、昭和40年ごろまであった、ということなのです。「お富士さん」は小規模なものが、秋葉原や駒込あたりに現存しますが、八幡宮裏にあったものはそれらよりずっと規模の大きいものだったらしく、江戸時代にはたくさんの参詣を集めていたようで、毎年春になると、この「お富士さん」の「山開き」という行事とともに、永代寺(富岡八幡宮)の名高い庭園が開放されるのが、お江戸下町の春の風物詩だった、と資料は伝えています。そんなに由緒正しい「お富士さん」がなんで取り壊されてしまったのか、全く惜しまれる限りなのですが、その由緒正しき「お富士さん」の名残が、このお社の裏にあるのです。

「お富士さん」への入り口であったんだろう石塔。

「富士浅間神社」はそもそも富士山の神様なわけですが、その左隣にある石塔は、多分「お富士さん」の入り口に立っていたものなのではないでしょうか。秋葉原などに現存する「お富士さん」は、実際には登れませんが、ここにあったものは登れたようなので、小さな登山道があり、その入り口にこの石塔があったのでしょう。石塔の文字はなんて書いてあるのかわかりませんが、一番上に富士山の絵が確かにあります。そこから続く小路をいくと、ほんの小さな岩山があって、その上にこれまた小さなお社があり、石碑もあります。「お富士さん」は、登山道に各地の「富士山講」と呼ばれる信徒団体の奉納した小さな石碑が置かれ、頂上にお社があったらしいので、これはやはり、「お富士さん」の名残と見るべきでしょう。石碑の文字の意味がよくわからないので、確かなことはわかりませんが。

かたわらのお地蔵さん。もう顔も定かではありませんが、なにやらありがたい気がしますね。

これらが、かつて「お富士さん」が現存したときのものが、そのままこの場所に移されたものなのかは残念ながらわかりません。ただ、そういう風に考えてみると、岩山のふもとの小さな、顔もすり減って定かでないお地蔵様が、歴史の風雪を経たありがたいお地蔵様に見えてくるではありませんか。

富岡八幡宮に来たら、必ずここへ寄ってみてください。木々の木漏れ日の中にひっそりとあるこれらの岩山やお社に、お江戸の春の風物詩とまで言われた「お富士さん」の賑わいに思いをいたして見てはいかがでしょうか。

(この記事は2006年に書かれたものです)

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です