第二回「黄金の本社神輿」
さて、富岡八幡宮、といえばやっぱりお祭り。今年は三年に一度の本祭りでした。そして、来年のお祭りに担がれるのがこの黄金の本社神輿の「二の宮」のほう。 もともと、富岡八幡宮には元禄時代の豪商「紀伊国屋文左衛門」が寄贈した「とされる」総金張りの本社神輿三基があった、そうです。なぜ紀伊国屋文左衛門が寄贈したと「される」なのかというと、実は、あの有名な紀伊国屋文左衛門という人は、生没年すら不明で、彼ににまつわるお話のほとんどすべてが「伝説」の類のもので、紀伊国屋文左衛門なんて架空の人物だ、という説すらあるそうなのです。
紀伊国屋文左衛門にまつわるエピソードで最も有名なのが、紀州からみかんを運んできて財を成した、というもの。これはまるっきりの作り話らしい。なぜなら、今のようなみかんというのは、明治時代に日本に入ってきたから栽培されるようになったもので、江戸時代の紀州ではみかんの栽培そのものをしていなかった。だから、これは明治以降に作られたお話なのです。
紀伊国屋文左衛門が寄贈したのかどうかはともかく、総金張りの三基の本社神輿は実在しました。ただ、江戸時代の祭りというのは「山車」が主役で神輿も山車に乗っけて引っ張った、らしいのです。勇壮に神輿を担いで練り歩く、という江戸っ子好みの祭りのスタイルは、実は明治以降に出来上がったもの、ということなのです。そして、明治以降、この深川の本社神輿は大人気となり、これを担ぎたい人で争いが起こるほどだった、ということです。しかし、この三基の本社神輿は関東大震災で焼失します。
そして、昭和の時代、あの佐川急便の会長が本社神輿を復活させます。佐川さんにしてみれば、われこそは現代の紀伊国屋文左衛門、ということなんでしょうね。ただ、総金張りだった以前のものにくらべるとこちらは金塗り。佐川氏にしてみれば総金張りにしたかったでしょうが、いかんせん総金張りでは神輿が重くなりすぎて担げない。というわけで金塗りで妥協するかわり、鳳凰にルビーなどの宝石をちりばめ、「十億円神輿」と呼ばれる豪華さを保ちました。
でも、やっぱり重過ぎたんですね。大きすぎた。お披露目で担いだとき其角主人も見物しましたが、展示してあるより、やっぱり担がれた状態のほうが巨大です。神輿、というより、お社そのものが通りを進んでいく感じです。たくさんの担ぎ棒をつけたものの、担ぐたびに神輿の重みで担ぎ棒が大きくたわみ、神輿が大きく上下に揺れる。担いでいた人間に聞くと、重くて担ぐのは五分が限界。無理して担いで神輿がつぶれでもすると死人が出ますから、お披露目一回きりでこの本社神輿は展示室入り。二度と出てきません。で、この本社神輿の「レプリカ」ともいうべき、一回り小さい「二の宮」が作られたのです。これなら担げます。来年の夏、この「二の宮」の巡行を見ることが出来ます。
この二つの巨大な神輿は富岡八幡宮の参道のガラスケースの中に展示してあります。詳しくは富岡八幡宮ホームページをどうぞ。
しかし、総金張りの本社神輿って、どんなだったんでしょうね。豪華かつ重かっただろうなあ。神輿がつぶれて死人が出ることしばしばじゃなかったかと想像します。そんなことにも思いをはせて、この本社神輿をご覧になって見てはいかがでしょうか。
(この投稿は2005年に書かれたものです)